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2011年11月25日 金曜日

目に見えてしまうということ

最近引っ越しをしました。(近所ですが。)それに伴い、電化製品もかなりの割合で新しく買換えました。今まで使っていたものが古かったり、あまり高機能のものじゃなかったりだったのでずいぶん便利になりました。エアコンは「あと1度設定温度をあげたら、一時間あたり○円の節約になりますよ」とか「カーテンが開いています。閉めたら節電になりますよ」とかアドバイスしてくれます。(カーテンが開いているのではなく、実際はまだカーテンを付けていないだけですが。)エアコンが使った「今回の電気代」や「今月の電気代」も教えてくれるし、スイッチを入れるときには「今の設定だと一時間あたり○円です」と、事前にアドバイスもしてくれます。今まで使っていたエアコンが古かった分、「便利になったものだなぁ」と感心しています。あと、インターホンも前の家には無かった録画機能がつきました。「毎日同じ人が勧誘に来ているな」等が分かって、まあ、便利ではあります。

が、便利は便利なんですけど、今まで見えていなかったものが目に見えてしまう分、今まで気にしていなかったことが気になってしまうようになりました。エアコンに「今エアコンを使うと○円かかります」と言われると、なんだかエアコンを使うことに罪悪感を感じるし、インターホンに毎日毎日同じ勧誘の人が映っていると「また今日も来たのか!」と、少し追い詰められているような気分になります。

考えてみたら、前使っていたエアコンだって、電気代を私に伝えていないだけでそれなりに電気を使っていたことは分かっているのですが・・・・。でも、具体的な数字を出されるとなんだか使うことを躊躇してしまうんですよね。インターホンだって、今までも録画していないだけで、うちにはセールスその他たくさんの人が来ていたのでしょう。引っ越してきた当初は、きっと毎日来ている勧誘の人だっていたはずです。でも、それを録画して毎日見せられてしまうと不気味なんですよね。

全てを知ることが幸せではないんだなぁ、と感じます。つらつらと書いてしまいましたが、つまりは「知らぬが仏」ということでしょうか。昔の人は、うまいこと言いますね。

(INA)

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